笑顔溢れる明日のために、合川校区まちづくり運営協議会 合川校区コミュニティセンター

合川校区の概況  overview

合川校区は、久留米市のほぼ中央部に位置し、合川町、東合川町、東合川新町、朝妻町から成り、8自治区で構成されており、南薫校区、東国分校区、御井校区、山川校区及び宮の陣校区と接しています。

面積は、東西約4キロメートル南北に約2キロメートルの約8平方キロメートルであり、南高、北低でほぼ平坦な地形で、標高は、海抜10m~20mと低地となっています。

河川は、北側に筑後川、西側に高良川が流れ2つの川が合流する地域であり、校区内は、小河川が数本南から北に流れています。

道路は、北側に国道210号線、南側に国道322号線が東西に走り、東側・西側にはそれぞれ大きな市道が走り、校区の周囲は比較的道路網が発達していますが、校区内の道路は未整備で狭小であります。

校区内の公共の交通機関は、全てバスによる移動となりますが、西鉄久留米駅までは近距離であります。

合川校区は、かつては三井郡合川村とよび、当時は、純農村として栄えてきましたが、昭和26年久留米市と合併、その後昭和48年に九州自動車道が開通し、校区の東側に久留米インターが開設され交通の要所になりました。このインターの北側には、農耕地(水田)が広がっていましたが、昭和59年国道210号のバイパスが走り、そのバイパスに沿って県土木事務所、県労働福祉事務所、県工業技術センター、職業訓練センター等の官庁関係、また繊維団地、トラックターミナル、各種メーカーの店舗等が立ち並びました。

また、平成15年9月には、ゆめタウン久留米がオープンし、その周りには、各種企業や商業施設が誘致される等、久留米市の東玄関口として急速に発展し、現在に至っています。

 

筑後国府の状況  chikugo kokufu

今から1,300年ほど前の7世紀末、天皇を中心とする中央集権国家が成立し、全国は60あまりの「国」と呼ばれる行政単位に分割されました。「国」が成立すると、各「国」を統括する役所(国府)が設置されました。現在の福岡県南西部地域には筑後国が成立し、筑後国を治める筑後国府は、合川一帯に広がっていました。

筑後国府は3回移転(第1期:合川地区古宮地区、第2期:合川町阿弥陀地区、第3期:朝妻町三丁野地区、第4期:御井横道地区)しながら、鎌倉幕府が始まる12世紀後半までの約500年間存続していたことが判明しています。

筑後国府の発掘調査は、昭和37年(1961)年、全国に先駆けて行われ、これまで37年間、約240回以上の調査が行われ、数々の出土品が発掘されています。

現在は、合川校区コミュニティセンター近傍に筑後国府跡が存在します。

 

各小地域の公民館  community center

下弓削公民館 御堂島公民館 市ノ上公民館 枝光公民館
十三部公民館 和泉公民館    

合川校区の変遷   transition

区分 校区の状況 校区公民館活動
明治11年

市ノ上有馬別邸内に合川校創立

下弓削の一民家を借用し足穂校も設立

 
明治22年4月

(久留米市制公布)

御井郡合川村となる。

 
明治25年7月 足穂校は、合川校に合併  
明治29年4月 郡制施行により、御井郡は三井郡となる  
明治33年12月 合川尋常小学校が合川村御蔵苑に校舎新築  
昭和3年12月 久留米~吉井間の久大西線開通  
昭和21年7月   合川村役場の一隅に合川公民館開設
昭和22年4月  

初代館長(中村才蔵)就任

※(昭和26年3月まで)

昭和26年4月

合川村、久留米市に編入し合川・東合川町となる

久留米市合川小学校に改称

公立中央公民館の分館として合川小学校の一隅に移転
昭和29年3月   立志式開始
昭和33年9月 久留米保健所が荘島町から移転する  
昭和36年 九州大学考古学教室が筑後国府の調査開始  
昭和36年10月   第2代館長(眞子 茂)就任
昭和37年4月   久留米市合川出張所に移転
昭和42年4月  

合川公民館は、市より民間に移管され

合川校区公民館となる(規約制定)

昭和42年11月 市農協合川支所の落成  
昭和44年5月 水道庁舎が合川町に完成  
昭和45年4月   合川公民館は、合川農協の一室に移転
昭和47年4月  

合川公民館、農協の空地に移転(プレハブ仮設)

第3代館長(相川清光)就任

昭和48年11月 九州縦貫高速自動車路が開通(鳥栖~南関IC)  
昭和49年7月

国道210号線バイパスが部分開通

総合スポーツセンター開設

 
昭和49年10月 合川町に県立久留米人材センターが竣工  
昭和53年4月 東合川町にトラックターミナル竣工  
昭和53年10月 合川小学校創立100周年記念式典開催  
昭和55年9月 東合川町に雇用促進事業団が久留米地域職業訓練センターを建設  
昭和58年4月 東合川町に久留米地域地場産業センター完成  
昭和58年5月   第4代館長(井上智利)就任
昭和58年9月   第5代館長(佐藤成次)就任
昭和58年11月 東合川町に久留米・鳥栖地域技術振興センター設立  
昭和60年3月 国道210号バイパス全線(東櫛原~山川)開通  
昭和60年4月  

校区コミュニティセンター開設

(市の出張所、老人憩いの家併設)

校区婦人会結成

昭和60年6月   合川だより(1号)発刊
平成62年2月   合川校区暴力根絶推進協議会発足
昭和62年7月 合川小新運動場落成  
平成元年10月   大ホール増設工事終了
平成元年11月   「ふれあい合川の会」発足
平成3年5月   「老人食事サービス運営委員会」発足
平成3年6月   婦人学級開級
平成4年5月  

公民館4部会

(福祉部・成人部・青少年部・体育部)発足

平成4年10月   第6代館長(溝口 寛)就任
平成6年1月 市の出張所が公民館から下弓削に移転  
平成11年7月 市道合川野中線(総延長840m)が開通  
平成12年8月   第1回サマーフェスタあいかわ21開幕
平成13年3月 国道322号の「くるくる歩道橋」完成  
平成13年6月   ふれあい食事サービス100回記念
平成14年6月   「ゆうゆう教室」開始
平成17年10月  

「合川校区安全安心まちづくり総決起大会」を

ゆめタウンで開催

平成19年3月   市よりミニパトの譲渡され、防犯活動を開始
平成20年4月  

合川校区公民館から

合川校区まちづくり運営協議会に改編

館長(溝口 寛)初代会長に就任

平成20年5月 JA合川支所閉鎖  
平成22年12月  

コミュニティセンター改修工事

(調理室・トイレ等 )終了

平成23年5月 合川交番国道210号線沿いに移転  
平成25年5月   第2代会長(中島幸男)就任
平成25年6月   「楽しく食べて語ろう会」200回記念
平成26年11月   「合川校区文化祭」が復活
平成26年12月   コミュニティセンター
屋上防水工事・外壁塗装工事終了
平成27年10月 久留米消防署東出張所が山川沓形町に移転